トップページ > トピックス > 百年政党の歴史をたどる
初めて世界に向けて赤色の中国を紹介した西洋の記者エドガー・スノー(その3)
2021-08-31 19:15

紅軍ちびっ子戦士「山西坊や」(スノー氏撮影)

斯诺拍摄的红军小战士“山西娃娃”

 陝北での100日余りの日々で、スノー氏は心の中の疑問の答えを見つけることができた。彼はある種の独特な「東方の魔力」を感じ取り、それは中国の「興国の光」であると確信した。彼は共産党員を「中国での10年間で出会った最も優秀な人々」、「卓越した軍事紀律があり、政治信念と制勝意志がある」、「卓抜した強靭力、勤勉さがあり、彼らは負けない」などと称えた。また「私は紅軍と出会ってからの4か月間、大変興奮したし、その中で知り合った人々は最も自由で最も幸せな中国人だ。このような、完全なる正義とされる事業に献身的に従事する人々を見て、私は満ち溢れた希望とやさしさ、人類が打ち勝つことのできない力を実感した。今後このような強烈な感触はないだろう」と綴っていた。

       在陕北的100多个日子,斯诺为心中的疑问找到了答案,他感受到一种独特的“东方魔力”,并断定这是古老中国的“兴国之光”。他称共产党人是“在中国十年以来所遇见过的最优秀的男女”,有着优越的“军事纪律、政治信念和制胜意志”,“坚韧卓绝,任劳任怨,是无法打败的”。他深情地写道:“我和红军相处的四个月,是一段极为令人振奋的经历。我在那里遇到的人们似乎是我所知道的最自由最幸福的中国人。在那些献身于他们认为完全正义的事业的人们身上,我强烈地感受到了充满活力的希望、热情和人类不可战胜的力量,自那以后,我再也没有如此强烈的感受。”

 スノー氏は著書『中国の赤い星」の序章で、「この本は各国で読まれる。形式ではなく内容が流行するだろう。この中の内容は中国革命青年が創造したもので、毛沢東、彭德懐、周恩来らの口述を記したもので、私はただ、対談をもとに記録しただけである。彼らの征服させない精神、エネルギー、情熱は、人類史上本来の素晴らしさである。」と記している。

       斯诺在《红星照耀中国》中文版序言中说:这本书能风行各国,不是因为它的风格和形式,而是因为它的内容。这些故事是中国革命青年所创造、所写下的,是毛泽东、彭德怀、周恩来等人口述的,我只不过把他们用“春水一般清澈的言辞”所作的长篇谈话给予了原始记录。使他们不可被征服的那种精神,那种力量,那种欲望,那种热情,是人类历史本身丰富而灿烂的精华。

 アメリカに帰国後、スノー氏はアメリカと世界に向けて中国の抗戦を伝え続けた。彼は、「真理、公正、正義は中国人民の事業である。」と述べた。そして1970年彼はまた中国に戻った。毛沢東氏が彼を天安門の城楼に招き、彼と肩を並べてほほ笑む写真は、彼の人生と中国革命の縁を示すハイライトである。

       回到美国后,斯诺仍然向美国和世界宣传中国的抗战。他说:“从根本上说,真理、公正和正义属于中国人民的事业。”1970年,斯诺再次回到中国。毛泽东邀请他登上天安门城楼,并与他并肩微笑的照片,是斯诺一生与中国革命不解之缘的高光时刻。

1970年10月1日、天安門の城楼で談笑するスノー氏(左)と毛沢東氏(右から2番目)

1970年10月1日,毛泽东和斯诺在天安门城楼

 1972年、スノー氏が亡くなる1週間前、黄華国連中国政府代表部代表はニューヨークに向かう途中で、ジュネーブへ寄り、毛沢東氏の言葉を預かりスノー氏を訪れた。毛沢東氏、周恩来氏がスノー氏の治療に派遣した馬海德医師は「我々(馬、黄)はかつてスノー氏とともに、洞窟式民居の中で数えきれないほど日夜を共にした。スノー氏は一目見るなり私を認識し、冗談で『おお、私たち「ゲリラ」3人がまたそろった。』と言い、我々は思わず笑った。」と話した。

       1972年,斯诺临终前的一个星期,时任中国常驻联合国代表黄华在去纽约的途中,特意绕道日内瓦,带去毛泽东对斯诺的问候。毛泽东、周恩来派去为斯诺治病的马海德医生回忆道:“我们两人(马、黄)曾经和斯诺一起在保安窑洞里度过了无数的日日夜夜……斯诺一眼就认出了我们,他惊喜地坐了起来说,‘好啊,咱们三个老赤匪又碰在一起了’,我们忍不住同他一起笑了起来。”

 現在、中国最高峰の北京大学の湖畔の石碑には、中英文で「アメリカの友人エドガー・スノーの墓」と記されている。スノー氏は「中国が大好きだ」と言った。その希望通り、彼が愛した、そして彼を愛した中華の大地で眠っている。

       今天,在中国最高学府北京大学的湖畔,一块石碑上用中英文写着:“中国人民的美国朋友埃德加·斯诺之墓”。斯诺说:“我热爱中国。”正如他在遗嘱中所希望的那样,他长眠于他所热爱、同样热爱着他的中华大地上。

Suggest To A Friend:   
Print