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ノーマン・べチューン氏が遺言書に綴る中国共産党員の姿(その1)
2021-08-31 19:19

 「親愛なる聶司令官:

 今日は体調が非常に悪く、もしかするとこれであなたたちとは永遠にお別れするかもしれない。……同志たちに話したいことは山ほどあるが、もうこれ以上書くことができないので、数えきれない感謝をあなたと親愛なる同志たちに送る。」

       “亲爱的聂司令员:

       今天我感觉身体非常不好,也许我要和你们永别了!

       ……我还有很多话要对同志们说,可我不能再写下去了。让我把千百倍的谢忱送给你和千百万亲爱的同志们。”

 1939年11月11日、ノーマン・ベチューンは最後の力を振り絞って晋察冀(山西省、チャハル省、河北省)軍区の聶栄臻司令官に遺言書を委ねた。翌朝、偉大な国際主義戦士でありカナダ共産党員、著名な外科医師であるベチューン氏は急逝した、享年49歳。

       1939年11月11日,白求恩用最后的力气写下交托给晋察冀军区司令员聂荣臻的遗书。次日凌晨,伟大的国际主义战士、加拿大共产党员、著名胸外科医生白求恩溘然长逝,终年49岁。

 彼と中国の縁はわずか2年たらずの時間だったが、彼の遺言書ではこのように綴られている。「この2年間は、わたしの生涯の中で最も楽しく、最も有意義な日々であった。」

       他与中国的缘分仅有不到两年的时间,但他在遗书中写道:“最近两年,是我平生最愉快、最有意义的日子。”

 1938年1月、ベチューン氏は国際援華委員会とカナダ共産党、アメリカ共産党のサポートにより中国を訪問した。3月末、船、飛行機、列車、ラバ車、トラックを乗り継ぎ、敵機の爆撃を何度も避けながら、ベチューン氏は遂に回り回って革命の聖地である延安に辿り着いた。翌日には中国共産党の指導者である毛沢東同志が彼に接見した。ベチューン氏は西洋の世界で伝説と呼ばれる人物を初めて目にし、毛沢東の衣服がこんなにも質素であるとは思いもよらなかった。よく見かけた黒色の布で仕立てられた衣服は、継ぎ接ぎだらけで、足元は普通の八路軍戦士が履くものと同じ、破れた綿入れの靴を履いていた。その晩、2人は長い時間語り合った。中国から世界、前方から後方、軍事から衛生のことまで、気兼ねなく自由に話し、知らぬ間に数時間が過ぎていった。

       1938年1月,白求恩在国际援华委员会和加拿大共产党、美国共产党的支持下来到中国。3月底,换乘过轮船、飞机、火车、骡车、卡车,躲避过数次敌机轰炸,白求恩终于辗转来到革命圣地延安。中国共产党领袖毛泽东同志在次日便接见了他。这是白求恩第一次见到这位被西方世界称为传奇的人物,他没想到毛泽东的穿着却是如此朴素:一身常见的黑布棉衣,袖口和膝盖已满是补丁;脚下穿着和普通八路军战士无异的破棉鞋。两人当晚谈了很久,从中国到世界,从前方到后方,从军事到卫生,谈得无拘无束,几个小时不知不觉地过去了。

 鳳凰山のヤオトン(洞窟式民居)から離れる時には、白く明るい月が空に昇っていた。ベチューン氏は日記の中で今回の対面についてこのように綴っている。「飾り気のない部屋で毛沢東氏の対面に座り、彼の落ち着いた口調の話に耳を傾けている時、私は長征のことを思い起こした。毛沢東氏と朱徳氏はあの偉大な行軍の中でどのように紅軍を率いて二万五千里にも及ぶ長く困難な道のりを経て、南から西北の山塊にある黄土地帯に辿り着いたのか。彼らの当時の戦略経験が、まさしく今日のゲリラ戦で日本軍を困惑させ、侵略者が所持する優れた武器の効力を失わせ、中国を救ったのである。私はなぜ毛沢東氏が会った人をあれほどまで感動させられるのかが分かった。彼は世界で最も偉大な人物の一人である。」

       从凤凰山的窑洞离开时,皓月当空。白求恩在日记中记下了这次见面:“我在那间没有陈设的房间里和毛泽东面对面坐着,倾听着他那从容不迫的言论的时候,我回想到长征,想到毛泽东和朱德在那伟大的行军中怎样领着红军经过两万五千里的长途跋涉,从南方到了西北丛山里的黄土地带。正是他们当年的战略经验,使得他们今天能够以游击战来困扰日军,使侵略者的优越武器失去效力,从而挽救了中国。我现在明白为什么毛泽东能那样感动和他见面的人。这是一个巨人!他是我们世界上最伟大的人物之一。”

 今回の会談中、毛沢東氏はベチューン氏が軍区前線に出向き、より多くの負傷者を救助したいという要望を受け入れた。その後2ヶ月間のうちに、ベチューン氏は太行山脈を通り抜け、黄河を渡り、敵の封鎖を突破して晋察冀軍区に辿り着いた。

       在这次会谈中,毛泽东同意了白求恩前往军区前线以救助更多伤员的请求。接下来的两个月里,白求恩穿越太行山,渡过黄河,冲过敌人封锁到达了晋察冀军区。

 軍事司令官の聶栄臻氏はベチューン氏を温かく迎え入れ、直ちに軍区衛生顧問として任命した。軍区で過ごす日々の中で、ベチューン氏は多くの人々と出会い、多くの事を成し遂げた。そのうち葉青山軍区衛生部長、游勝華副部長、軍区後方病院の林金亮院長らはその歳月を共に過ごし、そばで見守った仲間であり、ベチューン氏も彼らと接触する度に深く感銘を受けた。彼が友人に宛てた手紙の中で、「私はここで最も人間味のある同志らを見つけた。彼ら中国共産党員は残酷な目に遭いながらも、何が慈しみなのかを理解している。苦しみの中にも喜びを見出し、絶えない苦難を経験しても、彼らの忍耐力や、楽観的な精神と静穏な知恵を保っている。」と綴っている。

       军区司令员聂荣臻热情欢迎白求恩的到来,并马上聘请他为军区卫生顾问。在军区的日子里,白求恩认识了许多人、办成了许多事,其中军区卫生部长叶青山、副部长游胜华、军区后方医院院长林金亮等陪伴并见证了那段岁月,而白求恩也在与他们的每一次接触中深受震撼与感动。他在给友人的信中说,他在这里找到了最富有人性的同志们。这些中共党员遭遇过残酷,却懂得什么是仁慈;尝受过痛苦,却依旧善于欢笑;经历过无穷的苦难,却依然保持着他们的耐性、乐观精神和静谧的智慧。

 1938年6月、後方病院の林金亮院長は彼に小学校の中に設けた手術室を見せた。当時所有していた手術機器は数本のハサミ、止血鉗子、メス、木工用ノコギリを改造した切断工具等のみであった。林院長は「これが私たちの全財産である」と述べた。このような粗末な設備と苦労はベチューン氏の想像をはるかに超えていた。彼はひとつひとつ機器を手に取り、隅々まで観察し、林院長の手を握りしめ感激した様子で次のように語った。「あなた方はこのような厳しい条件下で仕事をしている、大変素晴らしい。中国共産党は優れた武器は何もないが、二万五千里にも及ぶ長征を経て鍛錬された革命戦士がいる。この革命戦士たちがいれば、私たちはそれだけで十分だ。」その後ベチューン氏は自身が主導となって建設した模範病院の開幕式上で「あなた方は私に無我夢中で取り組む精神や協力する精神、困難を克服する精神を教えてくれた。そして私はこれらの経験から教訓を得ることができた。ありがとう。」と述べた。

       1938年6月,林金亮院长带他看了后方医院设在一所小学教室里的手术室。当时手术器械只有几把剪子、止血钳、手术刀,还有用木工锯改造的截肢工具等。林院长说:“这就是我们的全部家当了。”这样的简陋和艰苦远超白求恩的预期。白求恩一件件地拿起器械仔细端详,然后握住林院长的手激动地说:“你们在这样艰苦的条件下工作,太了不起了。中国共产党没有什么精良的武器,只有经过两万五千里长征锻炼的革命战士。有了这些,我们就有一切。”后来白求恩在他主持建成的模范医院开幕典礼上说:“你们教给了我忘我的精神、合作的精神、克服困难的精神,我感谢你们,我感谢你们给了我这些教益。”

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